No Music No Life~日々全力投球~  社会人になっちゃったゆずひろの日常
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壁を越えろ(ブログと自分)
さて、今回の記事はとあるブログの記事にあった内容を元に自分なりの考えを書いていこうと思います。

テーマ「ブログという世界(見えない世界の向き合い方)」

ちょっと大袈裟ですが(ちょっとって言うかかなりw)w

ネットの世界って、ましてやブログというのは、書いている人の顔は見ることが出来ないのが常である。文章には各々の個性が詰まっている。感情が文章から感じられることもある。

顔もわからない相手との交流を差別化するためにmixiが登場したと言ってもいい。mixiの場合、招待状がなければmixiに入ることができない。その招待状は自分の知っている人から受ける。そのため、最初のころは自分が現実でも会ったことのある人との交流が行われる。昔音信不通になってしまった友人ともまさかの再会を果たすってことも少なくない。

ブログなどの場合、ブログに書かれている内容などを基に、自分が今まで出会った人間の中から一番近いタイプの人間をイメージし、その管理人はこういう人であろう判断をする。
これは第0印象に過ぎない。そこで自分にとって有り得ない行動を取られたとき、ひどく傷つく。

でも、選択の自由は自分にある。つながっていたいと思えばコメントを残したり、メールを送ったり、相互リンクしたりする。僕も今までそのようにして、今ではたくさんの魅力ある方々と相互リンクをさせて頂いている。

相互リンクの中にはもうすでに閉鎖されているブログもある。でも僕はそれを消すことはしない。つながっていた証をなくしたくないのだ。ただの、子供染みた考えだけどww

メールなどのやり取りで感情がわかるといっても所詮は文字を通してのものに過ぎない。
だから僕は「第1印象」を求め、リンクさせて頂いている方に現実世界で会いたいと強く思っている。ネットやブログはある種補助道具。人と人とを結びつける手段に過ぎない。僕はそう思っている。

人生は一度しかないし、取り返しなんてつかない状況が続く中で、たくさんの人に会うのも悪くはないと思うのだ。それが自分にとっていい影響悪い影響どちらを与えるにしろ。


こんな大きなこと言ってる僕だけど、落ち込むときはすごく落ち込むし、嬉しいときは馬鹿みたいに嬉しがるしwそんな人間くさい部分、このブログと相互リンクさせて頂いている方のそんな部分を味わいたいって思ってる。

ネットやブログが全てじゃないし、人間である以上、色んな人に直に会って色んなものを吸収するほうが、自分も大きく成長できるのではないだろうか?


ご清聴感謝します(´▽`)


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2006'02'19(Sun)23:57 [ コラム ] CM0. TB0 . TOP ▲
最近考えること
こんばんわ、ゆずひろです。んとね、最近よーく考えることがあるんですよ。それは、「死ぬ」ということ。ごめんなさい、ものっそ重たい話でね…

数年前におばあちゃんが亡くなって、それからというものよく「死」について考えることがある。中学のころ、部活で虐めみたいなものに遭い一度自殺しようと思ったことがあった。んでも、今になって思うとなんてバカなことをしようとしていたんだと反省している。

そのころの自分の中では、命というものは終わればそこで終わるっていう認識はなく、むしろテレビゲームのヒーローのように、何かの呪文で生き返ったり、リスタートが出来るものだと思っていた。でも、そんなことは人間が描いた虚像でしかなく、実際といえば終わった灯火は再び灯ることはない。

最近「死」というものがよく頭の中を過ぎります。何かの暗示なのかどうかは分からないけども…それが頭を過ぎる時、オイラはすごく胸が締め付けられたような苦しみを味わいます。死んだらこのシャワーも食べ物も大切な人や物も触ることも、ましてや何も出来ないし…そう思ってしまいます。

人間の脳っていいもんで、一日一日があるからその時々にあわせたことを考えて行動しているわけですよ。それは逆の発想を用いれば「死ぬ」ということを考えさせないためのものではないかと思うわけです。何も考えることがないから「死ぬ」ことについて考えるのもおかしな話ですが…

こうやってオイラがPCに向き合いブログを書いている最中でも、地球上のどこかでは今必死に自分の命と戦っている人もいるわけで…こういうことをいうとキリがないからこれでやめるし、表現としてこれをもってくるのもどうかと思ったから…けど、人の命はいつかはなくなってしまうもので、人は生まれたと同時に「死ぬ」までのカウントダウンを始めたわけです。それがすぐ来てしまう人、100年後に来る人…色々です。

病気が末期のとき、よく自分の死期を悟ったのかと言う人がいますが、それは置いといて…人はどんなに科学が進歩しても自分の寿命は知りたくないでしょう。それは時に幸せを、多くは不幸を招くからだと思うから。だって嫌でしょう?「あなたは何年後に死ぬ」って言われるのは…もしそれが信憑性のあるものなら尚更です。ちなみにオイラは絶対に嫌です。たぶんそのようなことを言われたら「生きる」ということを放置しそうな気がしてなりません。

大学生活も折り返し地点に来て、そろそろ浅くでも自分の将来について考えることも増えてきた。それと平行して…ではないけど、「死ぬ」ってことも頭をよぎる。そんなことを繰り返した結果一つの結論が出た。それは「後悔するような生き方はしたくない。行動できるときに行動しよう」というものだ。


オイラは最近になって、もっとたくさんの人と関わりを持ちたいと思ってや
まない。それはネット上、このブログを通じて仲良くなった方々もそうだが、文字だけの交流だけでなく生身での交流もしていきたいなって思っているのだ。…なんか、こういう風に書くことによって自分のやろうとしていることを正当化するようにしているのではないかと思いますが…


時間の許す限り、お金のある限り、オイラはたくさんの人と仲良くなりたい。そして最愛の人を見つけ、その人とそれからの人生を共に戦いながら過ごして生きたいと思っている。

重たい話でごめんなさい。書こうか迷ったんだけど、今自分の中で書くべきっていう結論に至ったからさ。。
2006'01'30(Mon)23:20 [ コラム ] CM2. TB0 . TOP ▲
赤字日本
 さて、ちょっと今回はお堅いことを書いていこうと思います。

 現在、日本の借金は1秒ごとにどんどん増加の一途を辿っています。これが止まることはありません。その責任は政府にあると言えるでしょう。循環赤字(景気の上がり下がりによって発生する赤字)はともかく、構造的赤字(社会保障費などにより発生する赤字)を増やしているのは政府なのですから。政府は税制改革で所謂サラリーマン増税を行うかもしれないという立場を取っています。しかし、マスコミなどほとんどがそれに反対しています。しかし、増税がそんなにいけないことなのでしょうか?

 今の国の予算は55%くらいが税金で賄われ、残りが国債(国が国のために発行している借金)で賄っています。国債が発行され始めたのは1970年代のはず。それからどんどんその比率は増加していき、約50%を国債で賄うという、おかしなおかしな財政運営がなされていました。
 しかも、国の歳出(支出)には、その国債の元本や利子の支払いのための予算(国債費)までが含まれています。これじゃ泥沼状態です。歳入が足りないからと言って国債を発行しているのに、その国債のお金で過去の国債の利子とかを支払っているということにもなります。

 んじゃあ、単純に国債発行をどんどん削減していけばいいじゃないかと思うはずです。それは小泉内閣になってから徐々に行われていますが、目立った変化は起こっていません。下がったといってもほんの数%でしかないからです。

 国民は「国の無駄な借金はいらない。」という反面、「庶民に痛手を負うのは嫌だ」という。僕の個人的な意見は、「庶民に痛手が負うのは当然」というものです。国の借金は今コレを見ている時間にも確実に増えています。それは国債を発行していることや、他のいろんなことが絡んでいます。無駄なことは削除して、国から地方への政策は正しいと思う。

 消費税を導入したのだって、国の財政が苦しいから痛手を国民にも負ってもらおうとして行ったことだと考えられますよね。1円が最終的には大きな意味を持つからですよ。「塵も積もれば山となる」っていう言葉のように…少しでも国の借金を減らしたいのであれば消費税の増加は認めるべきだと思います。しかし、そのためには国、政府にしっかりとした説明をしていただいて、納得できるような話をしてもらいたいです。何の説明もなくいきなり増税とかなったら怒るのは当たり前の話です。ちゃんと話せば分かってもらえるはずなんです。同じ人間同士なんですから。

 たしかに、昔に比べて生活水準は高くなり、欲しいものの価格も上がっています。それから見てみれば、増税を行うことによって家計に影響が出るという考えは正しいことです。しかし、どこかで踏み込まないと、日本は他国に国家再生法を申請しなければならない日が間違いなくやってくてしまいます。今の日本は企業で言うような優良企業ではありません。貿易収入はあるのにそれが国の財政に伴っていない。まして貿易黒字なのに内部では赤字であるというのは…そんな企業(国)、あなたが投資家だったら投資しますか?そんな利潤や配当もそんなにもらえそうにない企業に投資する人はいないでしょう。いるとしても将来の見通しをして、将来に期待が持てると思った投資家くらいでしょう。

 日本の今の価値は低いものだと思います。それを変えるのは企業(国)の中にいる従業員(国民)なのです。企業みたいにリストラは出来ません。だったら給与削減とかといった策を講じるしかないでしょう。我慢する期間が長いかどうかなんて誰も分かりません。でも、今やらないと本当に日本はどっかの国に吸収合併されちゃいますよ!!




2005'10'12(Wed)01:30 [ コラム ] CM0. TB0 . TOP ▲
僕とAMラジオとFMラジオ
 こんばんわ、ゆずひろです。
 リンク先のりょう(♂)さんのブログを見て同じようなことを書こうかなと思います。

 ゆずひろが初めて「ラジオ」という媒体を聞き始めたのは小学校6年生の頃あたりから。今もやっていると思うが、ABCラジオの「ミュージックパラダイス」略して「ミューパラ」がそもそもの根源にある。リスナーからのリクエストでランキングを決めるという、よくあるパターンの番組…そう、僕にとって最初のラジオは「AM」ラジオだった。

 それから2年後、転機が起きる。部活の友達から「面白いよ」と勧められて聞いた番組…kiss-FMの「SHINGO'Sレディオショー」だ。FMの番組ってどこか距離感があるように感じる方が多いのは確かだ。しかし、この番組はリスナー参加型番組というものを確立していた。なによりもDJのSHINGOさんが面白く番組を進行してくれたのは言うまでも無い。
 そこから僕はFM族(?)になった。平日は朝6時30分のFMの占い、お徳情報に耳を傾けながら目を覚まし、学校から帰って夕方5時からは、ターザン山下というDJの番組を聞き、土曜日は午後4時からNHK-FMの音楽番組を聴き、5時からはkiss-FMに周波数を合わせ、シンゴさんの番組を聴いていた。途中、シンゴさんの番組は平日の午後10時からの枠に変わるもののそれも毎日聞いていた。ラジオで始まりラジオで終わる一日が、当時の僕の日常だった。
 しかし、シンゴさんの番組がとうとう終了となった。そのとき偶然、コミュニティーFMが開局し、平日午後10時枠に高校生活を語る上ではずすことのできない番組に出会う。「今夜は楽しまナイト」である。
 シンゴさんの番組以降、僕が聞くラジオは、その日のトークテーマが決まっていてそれをリスナーがネタとして送ったりするものだった。
 「楽しま」が一番自分が番組にメールを送った回数が多い。嬉しかったのは、トークテーマを採用されたこと。何を採用されたかは覚えてないけど、すごく嬉しかった。この番組のお陰でF-1を見るようにもなったし、新しいラジオを見た気がした。この番組はどこかAMチックだったのだ。
 通常、FMもAMも番組を進行する上で何人もの人が関わる。キーパーだったり脚本家だったりADだったりミキサーだったり…しかし、この「楽しま」は別物。2人だけだった。喋り手と編集者の二人だけ。まぁ規模の小さいラジオだったからかもしれないが、それはそれは面白かった。ADの声が小さいながらもマイクが拾うんだもの。結構シュールな突込みをしたりとw
 しかし、この番組も終わった。それを機に最近ではラジオを聴くことが全くと言っていいほどない。

 ただ一つを除いては…



 ゆずのANNは別格です。
 ただ、僕が聞き出したのは時期がものすごく遅く、スーパー最終回の何回か前なのだ。当時実家の姫路からではゆずのANNを聞くには京都のラジオ局に周波数をあわさなければ聞けないのだった。しかし、周波数を合わせたところで雑音が占領し、聞くことができなかった。
 ちゃんと聞けたのは、その後ゆずが宣伝のために一日復活とかするときだけだった。深夜帯(Ⅰ部の時間帯だったかな)だから、雑音も少なかったのでクリアに聞けた。



 生活環境が変化したからと言えばそれまでのことなんだけど、実家にいたころは「ラジオあっての人生」と言っても過言ではなかっただろう。

 FMラジオを毛嫌いする人の気持ちも分かるし、AMラジオを毛嫌いする人の気持ちも分かる。ただ、どちらにも一長一短はあるわけで、どちらがいいとは言いがたいものだ。どちからを毛嫌いしている人へ…

 変なフィルターを外して純粋にアウェーのラジオを聴いてみてください。そしたら、もしかしたら、何か変わるかもしれません。



2005'09'28(Wed)02:43 [ コラム ] CM0. TB0 . TOP ▲
サークルと言う環境、そして人間関係
 久々に、真面目なことでも書こうと思います。とある方のブログを見て、その人にとって何かのきっかけになってもらえればと思い書きます。

 ほとんどの大学にはサークル(部)があります。私ゆずひろもサークルに所属しています。ゆずひろは夜間主生です。だからっていう理由じゃないけど夜間主のサークル(軟式野球部)に入りました。元々中学3年間軟式野球やってきたし、それに単純に野球が好きだったから。
 今思えば、このサークルに入らなければきっと違う人生があったように思います。だからと言って、今進んでいる道が間違っているとは思いません。
 最初の頃は良かったんです。しかし…ある事件をきっかけにサークルにいる意義を考え直し始めたのです…


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2005'09'26(Mon)03:29 [ コラム ] CM0. TB0 . TOP ▲
    


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