No Music No Life~日々全力投球~  社会人になっちゃったゆずひろの日常
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さよなら
こんばんわ、今回の記事は他のところでも共通のものにします。

さて、一部の方々は既にご存知のこととは思いますが、去る3月17日土曜日に父方の祖父が肺炎で亡くなりました。79歳でした。

先週は祖父の体調が急変したり、快方に向かったり、はたまた危篤状態になったりと静止を必死に彷徨っていました。しかし、なくなってしまいました。

その知らせを聞いたのが土曜日の14時頃。前日に危篤に近い状態と告げられ覚悟はしていました。幸いにも家族全員そろっていたので支度を済ませ祖父の家に…。

父が運転する車で祖父の家に向かう…実に僕にとっては2年位ぶりなのだろうか。弟はかれこれ3年以上ぶりになる。

家に着くといつも僕らの家族が寝室に使わせてもらっている部屋で祖父がいました。父からは元気だった頃と結構変わっているからショックを受けるかもしれないと言われていました。実際に顔を見ると確かに痩せこけていて昔のような面影は無かったかな…

そしてその日の夜に通夜と葬儀の日程が決まりました。通夜にも葬儀にも親戚をはじめ同じ集落の方々など総勢約100人程度の参列を賜り、おじいちゃんはみんなに見送られました。

この数日間、父親の泣いている姿を初めて見ました。母方の祖母が亡くなったときは母の泣いている姿を初めてみました。やはり自分の親が泣くという姿は目を覆いたくなります。父を初め4人の兄弟が居ます。その4人とも納棺、納骨前の最後のお別れのとき声をあげて泣いていたのがとても印象的でした。

祖父はたくさんの人に愛されていました。親戚だけでもざっと50人は居ました。あまりの多さにどういうつながりかわからなくなるほどでした。そして祖父といえば農業をやっている姿を思い出さずにはいられませんでした。かなり精力的にいろんなことに挑戦したり研究したりしていたそうです。

僕は祖父の孫であることを改めて誇りに思いました。そして残された祖母を影ながらでも支えていければなと思います。


きれいごとなのかもしれないけど、この世に生まれてはいけない人なんて居ないと思います。誰もが何か見えない使命を持って生きているのだと思います。

僕は祖父に誓いました。「立派な大人になる」と。そして、決して父や母の涙を流すのは嬉しいときだけにしておきたいと強く強く感じました。

祖父が亡くなる日の夜、夢に祖父が出てきました。とてもいい笑顔で僕を見ていました。死ぬ間際に逢いに来てくれたのかなと思います。

おじいちゃん、長い間お疲れ様。むこうにいっても元気でやってね。
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2007'03'21(Wed)00:25 [ 日常 ] CM2. . TOP ▲
    


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