No Music No Life~日々全力投球~  社会人になっちゃったゆずひろの日常
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僕の音楽遺伝子
さて、久しぶりにPCつけたんで更新でもしようかな(ぇ

今回は、僕の音楽の歴史みたいなのを書いていこうかなって思ってますよw

それでは、いってみましょー!!









音楽との出会い

物心がついたころに覚えているのは米米倶楽部とかBzとかチャゲアスとかだと思う。すべて親が聞いていたテープとかがきっかけだ。
ちゃんと歌える曲があるのは95年くらいからのはず。んでどんどん色んな曲を聞いていく毎日。すでにNo Music No Lifeは出来ていたw
父は70年代フォークが好きで、吉田拓郎、井上陽水、松山千春、風、六文銭、長渕剛とかを昔のテープを引っ張り出して聞いていた。まだゆずに出会う前のことだった。
どちらかといえば僕の今の音楽の好みは父の影響を存分に受けている。そして、僕の音楽の遺伝子その1が生まれる。

それはYMOとの出会いだった。父はYMOも好きだった。打ち込み音楽のパイオニア的存在である。メンバーは坂本龍一などがいた。
彼らの音楽には歌詞というものがほとんどない。5曲あるかないかだ。有名どころをいえばライディーンという曲ですね。昔のDoCoMoの携帯の着信メロディーとして入っていたこともあります。

そんな彼らの曲に僕は魅了された。ほぼ20年くらい前の曲なのに全く古さを覚えなかった。

中学1年のころ…家がケーブルテレビに加入したことによりあるアーティストをよく見るようになった。

それは「ゆず」である。当時スペシャーのパワープッシュで夏色がいっぱいOAされていた。
当時はラルクやGLAYが好きだったので、彼らの爽やかさには正直ひいたw

そしてその年の9月。僕の運命を決定付ける。たまたま入ったCDショップでゆずの「少年」のシングルを発見!
ちょっとひねくれていた当時の僕はなぜか上から見下したような雰囲気でそのCDを購入wそしてまるでエロ本を買ったかのように親に見つかるまいとCDを聞いていたのを覚えている。

そこからゆずに徐々にハマっていく。これが僕の音楽遺伝子その2だ。

そして翌年。「いつか」の発売される月。僕の誕生日だったので親にギターを買ってもらった。
しかし、中学のころはそれほど弾いていなかった。部活があったりして、なかなか時間をさけなかったのだ。

そして、そのころから自分でCDを借りるようになった。
流行はもちろん押さえてはいたが、そのころからある程度自分の音楽感性が形成されていく。

自分が「これめっちゃいい曲やん!!」って思う曲は絶対借りていた(まぁお金なかってんから買えなかったのよ
ちょうどゆず愛が少し薄れていた時期だった。しかし、その期間があってこそ、音楽感性が完成されたのだ。

高校1年のころ、初めて自作の曲が出来る。タイトルは「五月雨」。雨の日の数学の授業中に数学のノートの横に書いてましたw
それからというもの授業中暇になれば歌詞を書いてました。でもほとんどメロディーはありませんでした。
メロディーも一緒に降りてくるようになったのはごく最近でした。

歌詞って言ってもある意味自分から言えば日記みたいなもので、昔の歌詞を見ると恥ずかしいものもあるけど、でもそれもまた僕だったんだなって…
YMOに出会ってゆずが大好きになったからこそ僕のオリジナル曲は生まれる。このどちらかが抜けていたら僕はギターをやっていないだろうし、曲を作ることもなかったんだろうな。。

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2006'04'29(Sat)00:54 [ 音楽 ] CM0. TB0 . TOP ▲
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