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こんばんわ、ゆずひろです。
いつもはブログに表示される日時より一日前の内容を書いていますが、今回は10月13日のことについて書こうと思います。ちょっと重たい話になります。 2001年10月13日午前1時41分。 僕の大好きだったおばあちゃんがこの世からいなくなりました。ガンを患っていて手術をしても上手くはいかず、結局は違う死因でいなくなりました。 おばあちゃんはもう長くはないと聞かされたのは前日でした。いつものように学校から帰ってくると親がそのことを告げました。僕は平静を装いながらも頭の中は真っ白になり、気づいたらトイレで嗚咽するくらい泣いていました。 おばあちゃんの体調悪化はその年の夏頃からでした。検査入院と親は言っていました。 「な~んだ。じゃあすぐよくなって退院できるね」 そう僕はお気楽に言っていました。 そのときからガンは見つかっていたのかもしれない。お見舞いに行くか?と言われても、頑なに行かないといい続けていた。今考えればなんともバカなことをしてしまったのかと自分を責めても責めきれない想いで一杯になる。 もうダメってことが分かりきっていたから、前日か前々日に一時帰宅が認められた。そのときはもう布団に寝たきりな状態が精一杯だったおばあちゃんだったけど、孫である僕らを見ると笑顔で迎えてくれたのを覚えている。 その一時帰宅が認められた夜、容態は急変し、またおばあちゃんは固い病院のベッドに戻ったのだった。 最期の日。東京からおばあちゃんの妹とその家族、僕のお母さんの妹とその家族が病院に集まった。 みんなその時間がくることを拒みながら、モルヒネを打たれて麻痺状態のおばあちゃんに声をかけていた。 不思議なもので孫が声をかけたり、手を握ると心拍数は上がり、呼吸器をつけられているのに、声にならない声を出していた。 そして1時41分。おばあちゃんは旅立ってしまった。そのとき初めて母が今まで見せたことないような勢いで泣き崩れた。その姿に僕ももらい泣きをしてしまった。 おばあちゃんと孫の関係で言うと僕は一番最初に生まれた孫で、ほかにうちに弟、母の妹のほうに二人姉弟がいた。一番上のお兄ちゃんなんだから泣くまいと思っていたけど、我慢できなかった。 その日の夜空はとてもすんでいて、とてもきれいだった。 あれから6年が過ぎた。心残りはたくさんあるけれど「今更」な話。成人式の写真も見せてあげたかった。まだ先になるだろうけど結婚する姿も見せてあげたかった…。 あれからいろんなことがあった。辛いこともたくさんあったし、よかったこともたくさんあった。 おばあちゃん…ありがとう。。。 スポンサーサイト
COMMENT
『そのとき初めて母が今まで見せたことないような勢いで泣き崩れた。』
ここでブワッと涙が出た。 ゆずひろさんのおばあさんが亡くなった翌年の、数時間しか変わらない時間、私の親友も亡くなったから、それも重なった。 奇麗事になってしまうかもだけど、おばあさんの思いは、無条件で、おばあさんの娘である母親に託されてる。 それが『血』だと思う。 おばあさんが見れなかった成人式の写真は、おばあさんの血をひいたゆずひろさんのお母さんが見ているはず。結婚式もきっと。 そうやって、子孫のたすきは渡されていくものだと思う。 だから、ゆずひろさんがゆずひろさんの親に見せてあげられることができたら充分だと思う。
2007/11/11 05:30 | URL | 裏 #- [edit]
>>裏さん
お久しぶりですw そうだったんですかぁ。やはり誰でも身内というか知っている大切な人が亡くなっちゃうと悲しいものですよね。 裏さんのコメントの「それが『血』だと思う。」っていうところ。すごく納得した。そうだよねって。親にはちゃんと見せてあげられたし、それにまだおじいちゃんは生きてるから。 生き急ぐわけじゃないけど、結婚式を生きているおじいちゃんにも参加してもらいたいなって思ってる。 またコメントだけで1つの記事の量になりそうなので終了w
2007/11/11 22:59 | URL | ゆずひろ #- [edit]
結婚式挙げたら、次は『曾孫を抱かせたい』ってなるぞw
なんにしても、長生きしてもらいたいもんだよね。
2007/11/12 23:05 | URL | 裏 #- [edit]
>>裏さん
た、たしかにw 長生きしてもらいたいよ、本当に。
2007/11/13 02:02 | URL | ゆずひろ #- [edit]
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